<前回つづき>
私自身も、皆さまも実は空なのです。しかしながら、私自身も、皆さまも、実は人はだれでも、いっぱいものをつめて生きているのです。人、いのちある者は必ず、いつかは死にます。いつかは死ぬことを知っていますが、死にたくない。私は絶対に死なない、と思い込んで生きている。またこれがほしい、あれもほしいと思って毎日買い物に出かける。幸せですね。しかし、両手につかめるものは、ある程度限られているのです。
わたしたちのいのちは、生きているのだけれど、いつ死ぬか分からない。よくよく生かされて生きている状態なのです。それは若い奥さまでも、おじいさんやおばあさんでも、変りありません。
死ぬ時は死ぬ、そして病気になる時は病気になる。いのちある限りは生き生きと生きて、明るく病み、安らかに死ねばいいのです。決して、死に急ぐことはありませんが、息をして、食べて、笑っている限り生きているのですから、心配はありません。
空(から)になる。空になれば、いつでも必要なものが、入れることができる。いくらでも入ってくる。
空になって生きる。奈良の薬師寺の高田好胤和尚さまは、空については次のように、おっしゃています。かたよらない心、こだわらない心、とらわれない心、ひろく ひろく もっとひろく これが般若心経 空の心なり。
<おわり>
2010年10月26日火曜日
2010年10月22日金曜日
法話会「般若心経」について
先日、釈迦寺小室にて座禅・写経会、そのあと当寺僧侶による法話会がありました。これから2回わけてその内容をご報告したいと思います。
<般若心経について>
般若心経には「空」という文字、また「無」という文字が何度も出てきます。
「空」とは、お空・大空というように「そら」とは読まずに、「くう」と読みます。たとえばお腹が空いた場合は「空腹」といいます。この場合の「空」とは、お腹が「空っぽ」という意味です。また、車のガソリン・タンクにガソリンが入っていない場合は「ガソリンが空(から)だ」といいます。からっ欠になった場合は「ガス欠」ともいい、空という語は欠如という意味、あるはずのものが欠如していること、あると思っているものがない状態をいいます。ガス欠の他に、女性のみなさんがよく知っている「鉄分欠乏」、「金欠」などがあります。
別な観点から空について説明しましよう。ここではタクシーを例にします。
タクシーには実車、空車があります。人が乗って、メーターがおりている場合は「実車」といいます。お人、お客さまが乗っていない、人待ちのタクシーは「空車」といいます。乗るべきはずのお客さまが乗っていないので、「空車」です。お客さまが乗っていない車はいわば「色即是空」です。空車には、人が乗ることができます。それは実車に当たりますが、お経では「空即是色」といいます。
では「回送車」はどうでしょうか、「回送車」も人が乗っていないのですが、空車と違って、お客さまを乗せることができません。人が乗れない車です。それは、タクシーであっても、タクシーではない。「色即是空」とも「空即是色」ともならないのです。
<次回へつづく>
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